光文社 ISBN:75264-4 ベルトルト・ブレヒト 著/谷川道子 訳/ガリレオの生涯/(C)光文社
「目にみえないもの」を信じること、疑うこと。この本を読んだ後、どうしてもそこに思いを巡らさないではいられなかった。
「信じるべき」ものは「目にみえる」ものに限るべきなのか。「目に見えないもの」は常に「疑うべき」対象なのか。信じられること、疑う余地のあることの区別は、「目に見えるか」「見えないか」で究極的には判断できるものなのだろうか。それを何度も自問自答させられた。この本には私をそうさせる力があった。それが著者ブレヒトの意図であるかは別にして。
存在するかどうかもわからないものを人々に信じ込ませようとする圧力に、ガリレオは抵抗した。「疑え!」と。
天動説はプトレマイオスの目には見えない天体のモデルを、真実として人々に信じ込ませてきた。ガリレオは望遠鏡による天体観測を根拠に、天動説を否定した。見えないものではなく、見えるものを判断の根拠にした。なるほど、ガリレオの主張には説得力があるように思える。
だがどうもスッキリしない。もし「目に見える」ものだけが真理とみなすべきだとしたら、たとえば「人権」という概念は、疑いの対象となってしまわないだろうか。あるいは自然現象と価値観の普遍性は、切り離して論じるべきなのだろうか。
疑問はまだある。自然現象にだって、「力学」や「法則」が存在するとされている。でも、これらは目に見えない。目に見えないものを信じる決定的な根拠がないのならば、力学や自然法則を信じる根拠はどこにあるのだろうか。
「目に見えるものの背後にあるものが法則だ」と科学者はいう。これだって目に見えることの延長線上に、判断の根拠を置いていやしないだろうか。
ボクはこれまで物事の真偽や世の中の善悪の判断基準を、突き詰めれば「目に見える」「見えない」で究極的には判断できると、なんとなく思っていた。よくよく考えてみれば、それがどうも怪しくなってきた。この本を読むまで、気づかないでいた。この本を読むことで、気づかされたのだ。この本は、読み手の主観で僕の疑問以外に、いくらでも違う読み方のできる戯曲だと思う。
「目に見える、見えない」を超える、普遍的価値としての「人権」の確かな根拠とはなんだろう。
ボクは答えを出せないまま、悶々とした日々を送り続けている。
(執筆:アムネスティ書評委員会 D.U)
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ガリレオの生涯 (光文社古典新訳文庫)