死刑存置か廃止かという議論以前に、この制度の意味が僕にはまったくわかりません。犯罪の抑止効果がないことは既に統計で明らかだし、何よりも現在の制度はすべて非公開ですから、抑止目的という理由は明らかな論理矛盾です。被害者遺族の心情を理由に挙げる人は多い。要するに敵討ちですね。でもじゃあ、例えば毎日二十人も死者が発生する交通事故の被害者がもし車社会を憎悪したなら、その場合に社会は車を廃棄できるでしょうか?できるはずがない。車は社会にとって必要だからです。要するに社会の都合です。
人は誰でも衝動や欲望を抱え、それを抑制しながら生きています。ところが犯罪被害者の場合は、復讐したいというネガティブな感情がなぜか肯定されてしまう。その憎悪を社会が共有しようとしています。でも実は、被害者遺族の深い悲痛や哀しみなど本当に共有できるはずがない。現実には便乗です。悪い奴は消してしまえという因果応報の感覚が、被害者遺族の心情をエクスキューズにしているだけだと僕は感じます。ところが正義という側に立っているという感覚がこの便乗を正当化してしまう。
僕ももし家族を殺されたら、その犯人を殺したいほど憎むでしょう。でもそれを理由に、社会がこの憎悪を引き受けることが整合化されることなど、絶対にあってはならない。全員が当事者になれないし、なる必要もないのです。この正義感の陶酔と麻痺は、例えば今のアメリカと同様です。ところがアメリカを批判しながら死刑制度を容認することの矛盾に社会は気づかない。近年はますますこの傾向が強くなっている。人の命が絶たれるということを、誰も主語を自分にして本気で考えない。加害者を絶対悪に押し込めることで安心したいんでしょうね。社会は本質的にもっと無慈悲です。それを全肯定するつもりはもちろんないけれど、こうして都合の良い正義感と慈悲への便乗が強くなっていることに大きな危惧を感じます。
森 達也(もり・たつや)さんのプロフィール
テレビディレクターとして、ドキュメンタリー作品を数多く演出。 1998年自主制作ドキュメンタリー作品『A』を公開、海外でも高い評価を受ける。 続編の『A2』で山形ドキュメンタリー映画祭、市民賞・特別賞を受賞。 著書に『「A」』(現代書館)、『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『放送禁止歌』(解放出版社)、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社)、『ベトナムから来たもうひとりの王子』(角川書店)など多数。