死刑廃止 - 著名人メッセージ:森巣博さん(作家)

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森巣博(作家)

死刑廃止に向けたメッセージ

わたしはチューサン階級に所属する博打うちだ。
副業として、文章を書いてオアシを頂戴している。
ちなみに、チューサン階級とは中産階級の意味ではない。
中3階級。中学3年生程度の知識水準とご理解いただきたい。

わたしは「死刑」という刑罰に反対している。
理由は簡単だ。
死刑とは、国民の名でおこなわれる国家による殺人だ。
海外に在住しているとはいえ、わたしも「日本国民」の一人である。
わたしの名を騙(かた)り、勝手に殺人されては堪らんのである。
だから、死刑に反対する。

「死刑」という刑罰にかかわり、正真正銘の中産階級に属する「知識人」あるいは「文化人」たちが政治的、社会的、倫理的な分析をしてくれるだろうから、ここでわたしは、どうすれば日本で死刑が廃絶できるようになるのか、具体的に、かつ、チューサン階級的に考えてみたい。

ただし、まだ食事前の人は、食事を済ませてから以下をお読み下され。

ほとんどのいわゆる「先進国」で死刑が廃止されているのにもかかわらず、日本で死刑が存置しているのは、「8割の世論」があるからだ、と言われている。 それなら、その「8割の世論」をなくせばいいのだろう。 とチューサン階級は考えるのだ。

どうすれば、なくなるのか?
死刑は「国民」による殺人である、と教えればよろしい。
わたしのようなチューサン階級は難しいことを考えられないから、簡単なのである。
ではどうすれば、「国民」の大多数にそう教えられるのだろうか。

これも簡単である。

現在の死刑執行は、拘置所の刑務官によっておこなわれている。
いわば、殺人の代行だ。
これを止めればよろしい。
自分が殺したい人間を、だれか他の者にやらせて涼しい顔をしている、なんてまるでヤクザの親分である。「日本国民」は、そんなに破廉恥ではない。「つくる会」の「のすたるじじい」たちが主張するように、日本人は誇り高いのである。

だから、殺したい奴を自分たちの手で殺すように制度を改めよう。
一回の死刑執行につき、100人くらいを選挙人名簿から無差別に抽出して、死刑執行官とする。
もちろんこれは、死刑制度を容認する「日本国民」の義務である。
拒否はできない。拒否するなんて、それは「非国民」というものだろう。

「おめでとうございます。貴殿、貴女はO月OO日に予定された******の死刑における執行官に当選いたしました。戦争以外で合法的に殺人ができる唯一の機会です。どうぞこの僥倖(ぎょうこう)を存分にお楽しみ下さい」

なんて通知の手紙を送ったら、いいのじゃないかしら。
その通知の手紙は、血の赤がよろしい。
新アカガミ、ですな。

その死刑執行に喜んで駆けつける「のすたるじじい」たちも居るかもしれないが、まあ、これでだいたい「8割の世論」は、ひっくり返せるのではないのでしょうか。

付け加えると、「絞首刑」なんて、一見「汚くない」殺人方法も廃止しよう。
選ばれた死刑執行官は、千枚通し、あるいは文化包丁を使って刑の執行をおこなおう。

やってやろうじゃないのさあ。
上等じゃないのよ。

そして、じっくり考えよう。
「文化包丁は文化的か?」
と。

森巣 博(もりす・ひろし)さんのプロフィール

1948年、日本生まれ。 雑誌編集者・記者を経て、 ’75年ロンドンよりカシノ賭博の「常打ち」賭人を目指す。 現在は、オーストラリアを拠点とする国際的な博奕うち。 一方、異質のライターとしてジャンルを越えた多くの著書 を執筆する。 「無帰属の志」を縦軸に、ギャンブル体験を横軸にした独特 かつ明晰な文章には定評がある。 「非国民栄誉賞」を生涯目標とする不良中年。

著書には、
『無境界の人』(集英社文庫)
『無境界家族』(集英社)
『神はダイスを遊ばない』(飛鳥新社)
『ろくでなしのバラッド』(小学館文庫)
『ジゴクラク』(光文社)
『越境者たち』(扶桑社)
『セクスペリエンス』(集英社)
『ナショナリズムの克服』-姜尚中氏との共著(集英社新書)
『非国民』(幻冬舎)
などがある。

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