死刑制度に思う
アムネスティ・インターナショナル キャンペーンから、「『死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ』企画書」なる文書を頂いた。
一読 <わが意を得たり> の思いがした。特に「世界の死刑の状況」を読み、死刑廃止国が111カ国、存置国84カ国を大きく上まわっていることに希望を抱いた。
死刑廃止は世界の趨勢と、かつて何かで読んだことがあった。早晩、世界に死刑はなくなるのであろうが、手を拱いて待つだけではならない、と思う。特に日本ではもっともっと、その廃止が叫ばれて然るべきであろう。
私は何より、人間のすることに完全を期待することはできないと考える。今まで死刑で命を失った中に、どの程度の割合で冤罪があったかは知らないが、一人でもあってはならないと思う。
では、冤罪さえなければ、死刑を実行してよいのかとなるが、これも肯定できない。死刑は人間の手によって、人間の命を剥奪すること、すなわち人が人を殺す行為である。
いつか私は、刑務官を親に持つ人の話を聞いた。その人は言った。
「死刑を執行した時の父は、その後何日もひどく荒れていました」
この言葉は、今も私の胸に痛みとなって、消えることはない。
ともあれ、世界に死刑のなくなる日を祈ってやまないものである。
三浦 光世(みうら・みつよ)さんのプロフィール
1924.04.04 東京目黒に出生
1927 夏 父貞二肺結核のため家族と共に、父の開拓地北海道滝上村に移住。この年11月28日父死亡、座棺の父を母に抱き上げられて見る。その後、母とも別れ、母方の祖父の家に預けられ約10年を過ごす。(兄と妹は父方の祖父の家にて成長)
1939.03 小頓別高等小学校卒業。同年4月小頓別丸通運送社に事務員として就職
1940.06 中頓別営林区署毛登別伐木事務所に検尺補助員として採用される
1941 夏 腎臓結核にて、右腎臓摘出
1943.12 中頓別営林区署退職
1944.02 旭川営林区署に復職
1949.11.13 キリスト教の洗礼を受ける
1959.05.24 堀田綾子と結婚
1966.12.01 旭川営林局総務部経理課退職。以来、妻綾子の著作活動に協力
妻、難病発症以後その介護にもあたり、1999.10.12妻と死別
著書に妻との共著「太陽はいつも雲の上に」 自著に「少年少女の聖書物語」「妻と共に生きる」「死ぬという大切な仕事」「綾子へ」 「妻三浦綾子と生きた40年」「希望は失望に終わらず」 歌集「夕風に立つ」などがある。
【追記】 三浦光世さんは2014年10月に逝去されました。生前の死刑廃止へのご尽力に感謝申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。