死刑廃止 - 著名人メッセージ:河野義行さん(松本サリン事件被害者)

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河野義行(松本サリン事件被害者)

被害者でありながら冤罪を問われた

―――奥様は今も病床に臥して大変な状態でいらっしゃるわけですけが、その一方で父親が犯人と疑われて監視の中に置かれる、ご長男さえも共犯という形で疑われるという状態が、事件発生当初、一年近く続きましたね。 そんな中で河野さんは、家族の絆というものをどういうふうに作り、維持していこうとされたのでしょうか。

そうですね。わたしの子どもは当時、中3、高1、高3でした。とても多感な時期であったし、いじめの対象にもなっただろうなと思い起こします。そんな状況の中で、子どもたちには、事実をありのまましゃべりましたね。

子どもたちを集めて、「お父さんは場合によっては近々、逮捕される。その可能性が非常に強い。そうなった場合、お前たちは一人ひとり、自分で生きていかなきゃならない。おそらく、お父さんには会うのも難しくなると思う」と。だから、子どもに全て任せる、と。「家にあるお金。あるいは家、土地をお前たちの意思で売るなら売れ」というところまで話したわけです。

その結果、子どもが大人の自覚を持っていったとは思います。家の財産を、場合によっては自分の意思で売らなければならない。そういうことで、「父親もあてにならない、母親もあてにならない」と自覚した。だから、正直に話したことが子どもにとっては良かったと思います。親父が指図して、「子どもは子ども」という場所に置いていたら、子どもたちはかえってつらかっただろうと思いますね。

そして、「お父さんは最悪、死刑っていうこともあり得るんだぞ」と。「そこからどうやって前へ出ようか」という点を、いつも子どもたちと話し合って方向を決めて行きました。そして、「卑屈になるな」と言い続けました。意地悪されたら許してやれ。少なくとも、「意地悪する人たちよりは、少し高いところに心を置いておこう」というような話を、常にしたわけです。精神的には、そういうことで持ちこたえてくれたんだろうなと思うんです。

―――「地下鉄サリン事件」が発生して冤罪が晴れた後、河野さんに対する人々の対応はどういうふうに変わりましたか。

マスコミっていうのは、例えばわたしを極悪人にも描けるし、あるいは美化して英雄にもできるんですね。

わたくし自身は、例えば事件前と事件後、生き方も考え方もそんなに変わっていないわけです。ところが、事件が起こって「こいつが悪い」という一つの路線、編集方針と言ってもいいんでしょうけども、そういう方向性が出きてきた時に、とてつもない悪いヤツになってしまうんですね。「どっか悪いとこないか」って探すわけです。で、「こういうこともある、ああいうこともある」と。「だからこいつは悪いヤツなんだ、変なヤツなんだ」となっていくわけです。

それが一年経って、わたしが事件に関与していないとなった時には、全く逆転するわけです。そんなにいい人でもないのに、「とてもいい人」になってしまう。だから、わたしはマスコミというのは、本当は中立じゃなくて、人に対する評価は偏っていると思っています。

麻原裁判・オウム裁判に注目して

―――麻原裁判の一審判決がありましたね。オウムの元信者たちの審判決が終わって控訴審になりつつあります。この間、一年間で16人ぐらいの人に対して死刑判決が出ていますね。 麻原裁判をはじめとするオウムの一連の事件の裁判をご覧になった、あるいは注目してこられたと思いますが、裁判の動き方とか裁判の中で行われたことに関して、どのような印象をお持ちですか。

「裁判官が結論を出す前に世の中が出しちゃってる、あるいはマスコミが出しちゃってる」ということですね。言ってみれば、「判決前に判決が出ている」ような社会状況になっているところが、とてもおかしなことだと思います。

例えば弁護士が、証拠について検察に質問して「説明しろ」と言うと、「弁護団は裁判を遅らせているんじゃないか」という批判が出てきましたね。弁護士は真実を追求するのが仕事ですから、疑問があれば聞くのは当たり前なんですけど、それすら、世間が許さない。

それから、麻原さんの一審判決が8年ぐらいかかかっているのが「とてつもなく長い」という言い方をされます。しかし、その起訴項目、あるいは被害者の数――被害者は亡くなった方だけでもずいぶんいますから――そういうものを勘案した時に、わたしは8年というのは短いじゃないかと思っているんです。

ところがマスコミは、「長いですねえ」と先導するんです。じゃあ実質的な審議を、13項目の起訴のようなものを、一つひとつ公正に立証していった時に、他の人がやったら8年でできるのか。その意味で、弁護団や検察は「一生懸命やって8年で詰めた」という認識を持っているんですけども、それもやっぱりマスコミが「長かったのではありませんか?」という質問をして、ただ単に「8年という年月は長い」という言葉を先導する。そうやって、世論の方向性をマスコミが作っているということはあると思いますね。

死刑か、それとも無期か?

―――オウム裁判の判決が出ました。少なくとも無罪になった人はいません。その中で、一人だけ無期の判決が出て確定するという特異なことが起こりましたね。地下鉄サリン事件の実行行為をした人の一人が無期になった。 しかし、「その実行行為に参加したけども、その人の行為では誰も死ぬ人がいなかった」という人が死刑になりました。その点については、どういう考えを持っていらっしゃいますか。

検察に協力した人に対して、検察が情状酌量みたいな形で求刑を下げたんですね。でもそれは全くおかしな話で、求刑というのはやったことに対してきちっと決めるべきものですね。一方で、情状酌量というのは弁護士がやることなんだけれど、検察が弁護士の仕事をやっているかのような違和感を感じました。

―――「死刑か無期か」とか、「懲役何年か」というのは裁判所が決めるように見えるけれど、検察が死刑を求刑して、それについて強く立証し、声高に主張すればやっぱり死刑になる。ところが、無期しか求刑しなければ、無期判決しか出てこないことが多いですね。そのあたりから、「死刑の量刑の公正さ」というんでしょうか、仮に死刑が是としたところで、その是とする死刑が公平・公正に適応されているかとどうかについて、疑わしいという感じ方も出てくるわけですが。 今回の麻原さんに対する死刑判決をお聞きになって、どういう印象を持たれましたか? 世間には被害者の気持ち、悔しい思いとか、あるいはやりきれない思いを死刑が癒してくれるという考え方がありますが、それについてはどのようにお考えですか。

これは全く私的な意見ですけどね。仮に、麻原さんのしたことが、その起訴事実、起訴された内容の通りであったとします。それでは死刑が麻原さんに対して極刑が妥当かと言えば、わたしは違うんじゃないかと思っているんです。

麻原さんは、死刑なんて何とも思ってないかもしれないですよね。わたしは新聞にもコメントを出したんですけども、自らを「最終解脱者」と言って、来世もあると信じている人であれば、「この世の終わりはあの世の始まりだ」というとらえ方をしているかもしれない。だから、「本当に麻原さんが悪い人であれば、終身刑の方がキツイのでは」という言い方をしています。

それで、今回控訴したということは、事実が違うか量刑が不服だということ、これしかないわけですよね。それならば、じゃあどこが不服なのか、何が違うのか、それを控訴審できっちり言って欲しいなという気持ちがあるんですね。

だから、今しゃべれるかどうかということは別として、自分の心の中に不服があるなら不服の部分、あるいは「裁判官、違うぞ」という部分があるなら、それは控訴審で説明して欲しい。それがわたしの気持ちです。

死刑制度は必要か

―――死刑制度について、どうお考えですか。

死刑というものに、わたしはずっと反対の立場を取ってきました。人が人を殺すことがいいことであるわけがありません。

それから裁判というものを考えた時に、裁判にはミスジャッジがある。例えばミスジャッジで、何もしていない人を死刑で殺してしまった時に、あとで戻しようがないですね。執行してしまったらどうしようもないです。まあ、そういうこともありまして、わたしはまず「反対」です。

それから、例えば死刑が犯罪の抑止になる、こういう極刑があるから犯罪が抑止されるという言い方がされますが、わたしはそんなこと全くないと思います。少なくとも犯罪をする人が、「ここまでで無期だから、これ以上は、殺すのはやめよう」とか、自分の量刑を考えて犯罪をするわけじゃないと思います。そもそも犯罪の多くは突発的に起こっていて、感情的に動いて、「気がついたら殺してしまっていた」というものです。そういう意味で、死刑が犯罪の抑止になるという考えは、わたしは全くの思い違いだと思います。

それから「死刑制度がある日本で、犯罪が抑止されているか」という問題があります。今、刑法犯が年間285万件ありますね。ちっとも抑止になってないじゃないですか。こういったデータからも、死刑が犯罪の抑止をしているという分析は間違いだと思っています。

このメッセージは、2004年9月11日午後、東京都新宿区の早稲田奉仕園で行われた「オウム裁判・冤罪と死刑を考える」(主催:死刑廃止条約の批准を求めるフォーラム90)での河野義行さんの発言をまとめたものです。(文責:アムネスティ・インターナショナル死刑廃止ネットワークセンター)

河野 義行(こうの・よしゆき)さんのプロフィール

1950年愛知県生まれ。1994年6月、一家で「松本サリン事件」の被害に遭う。自宅付近からサリンが発生したことから、当初、長野県警の家宅捜査を受け、マスコミからも犯人扱いをされた。 翌年、自らの潔白を証明し、名誉を回復するため、日本弁護士連合会の人権擁護委員会に人権救済を申し立て、地元新聞社に対して民事訴訟を起こす。現在は、「報道改革」や「犯罪被害者救済の立法化」を求め、講演活動を行っている。著書:「『疑惑』は晴れようとも」(文芸春秋社)、「妻よ!」(潮出版)

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