死刑廃止 - 著名人メッセージ:伊佐千尋さん(作家)

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伊佐千尋(作家)

記念すべき勇気

米イリノイ州のジョージ・ライアン前知事が任期終了を前にして2003年1月、167人の州内全死刑囚の減刑を発表した。

知事戦では死刑支持を唱えていたが、就任後の3年前、不当判決が多いとの報告を受けて死刑執行を前面的に停止、再調査を命じていた。その勧告を受けて特赦を決断したものである。

「この発表が軽蔑や非難、怒りを引き起こすだろうことは覚悟している」知事は語った。「だが、私は今日はぐっすり眠ることがで きる――正しい判断をしたのだから」

アメリカは50州中12州が死刑を廃止しているが、残りの州は存続し、知事が予期したとおり、賛否両論が渦巻いた。

「記念すべき勇気」とニューヨーク・タイムズは英断を称えたが、「思い上がった職権濫用」とセントルイス・ポストは非難し、最も激しく反撥したのは「死刑執行は正義」と怒りを露わにした被害者の家族であったという。独裁国家なみといわれる死刑大国アメ リカの反応はさまざまである。

欧州をはじめアメリカ近隣のカナダ、メキシコ、それに中南米の多くの国々には死刑はない。存続する国は世論を理由に挙げる が、死刑によって被害感情が癒されるか否かは疑問であり、世論調査も設問の仕方や時期によって結果は大きく変わってくる。わが国もその例にもれない。

死刑を存続する国は世論重視というより、むしろそれを理由に統治権力に利用する。

「法は殺す法であってはならない」 フランスがその法を存置するかぎり、ヨーロッパでの孤立化を避けられないとして、ミッテラン政権下、ギロチンの血にまみれた法をなくしたロベール・パダンテール元法相の言葉が強く印象に残っている。先年、夫妻と食事をともにし、親しくお話をうかがっ た。

「国民投票は責任逃れ、政府の意見を言わなくてすむからだ。被害者のことを考えていると言うが、その家族の苦しみを利用し、感情を刺激し、理性を鈍らせ、ただ古い秩序を守っているにすぎない」

そして、死刑存否の問題は、和島岩吉弁護士が生前言われたように、まさに「人間の理性と感情の争い」なのである。

――刑は兵に始まる。 という。死刑と国家との関係を考えるとき、中国最初の奴隷制国家夏 (か・紀元前21世紀頃樹立)に遡らなければならない。

商(しょう)にいたって成熟、西周はその全盛期であったが、刑法は戦争と密接な関係をもっていた。成 文法ではなく、官に隠されて公開されず、封建制と中央集権を維持しようとするものであった。

どのような行為が罪となるか、いか なる刑罰に科せられるかは既定の法によるのではなく、「朕は則(すなわ)ち国家、朕は則ち法」であった。

この秘密主義は現代でもさして変わっていない。わが国では処刑も秘密裏に行われ、執行する国の責任は明確にされず、法相は役 人の求めに応じて執行の印を押しているだけである。さらには被告人の命を奪うべきか否か、人知で決めることは不可能と思われる のに、その基準も理由もはっきりしていない。

辟(へき)という字に「君主」と「刑罰」の二つの意味があるのは興味深い。 分解すると、尸(かばね)と口、そして辛(しん)から成り立っている。尸は屍(しかばね)の原字で、辛は処刑用の刃物である。処刑で威嚇して人を支配するから、君主という意味になり、さらには刑罰を意味するようになった。 しかし、死刑を強化しようとした専制君主ばかりではない。

西漢(せいかん=後漢)の景帝(前188-前141)は、死罪であっても腐刑(宮刑、男は去勢、女は生涯幽閉)を望む者には許していた。

残忍といわれた魏(ぎ)の曹操(そうそう 155-220)もそれに傚(なら)おうとし、肉刑(体の一部を傷つけ、または切断)によって死刑を減じようとしたが、軍事に際して議論が進まず、 「民を悦(よろこ)ばす道に非ず」と責任を民に転嫁した官僚たちによって沙汰止みとなった。

古今の明君、唐 の太宗 (599-649)はあるとき牢獄を視察し、死刑囚を見て哀れに思い、国中の死刑囚をみな一時釈放し て家に帰らせ、翌年の秋まで執行を猶予し、それまでに帰るように命じた。翌年の秋、釈放された全死刑囚390人が一人も欠けず 帰牢し、太宗は感心して全員を赦免した。

――死囚四百、来たって獄に帰る。

と白居易(はっきょい)が「七徳の舞」に詠(うた)ったのはその故事だが、宋の欧陽脩(おうようしゅう)がこれを「誤った行為」として非難したのは、彼が優れた学者であっただけに理解に苦しむ。

ライアン前知事に対しても、同様である。その英断を理解せず、「ノーベル賞が欲しいのか」とニューヨーク・ポストが非難した のは心ない仕打ちで、下司の勘ぐりとしか言いようがない。

――人は歴史の教訓から多くを学ばず、それが歴史の教える教訓のうちで最も重要なものである。(1959)

オルダス・ハックスリーのこの言葉が誤りであることを望む。

伊佐 千尋(いさ・ちひろ)さんプロフィール

1929年、東京で生まれる。78年「逆転」で第9回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。82年「陪審裁判を考える会」を発足。著書に「炎上―沖縄コザ事件」「司法の犯罪」「法廷―弁護士たちの孤独な闘い」「衝突―成田空港東峰十字路事件」「舵のない船―布川事件の不正義」「邯鄲の夢」 「洛神の賦」など。訳書に「最後の被告人」など。

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