「最初からずっと信じている。一日も早く出してあげたい」。
袴田ひで子さんの弟、袴田巖さんは、1966年に起きた袴田事件の容疑者として逮捕され、その後、冤罪の可能性がありながら、46年間もの長い間、拘禁され続けています。
巖さんを生きてふるさとへ取り戻すため、過酷な現実に立ち向かってきたひで子さん。袴田事件に込められた司法の問題点と、46年間のご家族の支援の日々、そして再審開始への思いを語った「スピーキングツアー2012」 が全国各地で行われました。
7月14日:大阪 豊中市(とよなか男女共同参画推進センター)
当日は、12時半に集合。初顔合わせのスタッフで、資料の確認や会場づくり、音響、映像の試写、展示物・販売商品並べ。あっという間に午後2時を迎え、80人の会場は一杯になっていました。
日本プロボクシング協会制作の映像「冤罪は終っていなかった」の視聴後、事件の概要と問題点をパワーポイントで説明。休憩の後、拍手で、ひで子さんが登壇しました。そのご苦労を想ってか一瞬、会場に緊張がみなぎります。淡々と言われる「弟」という言葉に、慈愛と悲しみが溢れます。「自供」したと母親に伝えると「世間を狭く生きていくしかないね」と言われた由。ご家族の長い闘い、悔しさを思うと、自然と憤りが湧きました。
交流会や翌日初めての大阪見物で幾度も見せられた笑顔に、お招きしてよかった、とお見送りしながら心底から思えた講演会でした。(報告:北摂グループ)
9月22日:兵庫 明石市(日本基督教団 明石教会)
第一部では「浜松 袴田巖さんを救う会事務局」寺澤暢紘氏が、袴田事件の概要と数々の矛盾点、DVD鑑定について、映像を使いながらお話し下さいました。
第二部、大きな拍手に迎えられ、袴田ひで子さんが壇上へ。巌さんの逮捕から死刑判決、面会時の様子など、語り口が穏やかなだけに「巌はやっていない」という信念と長い年月の苦しみが伝わりました。
その後の座談会ではご家族の思い出と再審に関するお話を。十字架の掛かる壁に映し出される優しそうなご両親、兄や姉と並ぶ巌さんの映像... 奪われた家族の日常と巌さんが置かれている状況に胸が痛み、警察・検察・司法への怒りは増すばかり。巌さんは「再審に勝った」と信じているとのこと。一日も早くそれが「事実」となることを、この場の誰しもが願ったに違いありません。 (報告:西神戸グループ)
9月23日:広島 広島市(まちづくり市民交流プラザ)
広島での袴田ひで子さんのスピーキング・ツアーの来場者は39名でした。予定の時間は2時間半だったのですが、30分ほど余して2時間で終了。質問が少なく、事件の概要の説明が初めての人にはいささか分かりにくい所もあったように感じられました。ただ、関連書籍15冊と、袴田さんの応援バッジは12個売れました。
イベント前の昼食では、ひで子さんが広島のお好み焼きを喜ばれていたのが印象的でした。(報告:ひろしまグループ)
10月13日:滋賀 大津市(生涯学習センター)
当日は、袴田事件の概要を示すDVD上映、楳田民夫さん(袴田巌さんを救援する清水・静岡の会代表)からの報告、袴田ひで子さん講演と質疑応答、滋賀県内のえん罪事件である「日野町事件」の支援団体の代表者によるアピール、そして懇親会をおこないました。
48名の参加、記者の方も3名参加し、後日、講演会の記事が中日新聞、毎日新聞、京都新聞に掲載されました。
参加者数は当初30人台に留まるのではないかと心配されましたが、予想を上回る数の参加がありました。参加者のほぼ3分の2はアムネスティ会員以外の方々であり、いわば「身内」だけのイベントに終わらず、アムネスティの活動を外部に方の知ってもらう良い機会になりました。(報告:大津坂本グループ)
10月14日:静岡 静岡市(静岡県産業経済会館)
参加者は、会員と一般の方が50名、メディア関係者が約15名、計65名ほどでした。
ひで子さんは、ご兄弟でどのように巖さんを支援してきたか、巖さんから受け取った手紙の内容、面会に行ったときの様子、最後まで巖さんを支え続けようとする決意、などについてお話をしてくださいました。また、支援者の「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」事務局長 山崎俊樹さんが、事件をめぐる最近の経過、捜査・裁判のあり方や死刑制度についての問題点などをお話しくださいました。
質疑応答の中で、今まで数十年間の支援生活でつらかった時期をいかに乗り越えられたか、との質問にひで子さんは「支援者の存在にとても勇気付けられ励まされた」と声をつまらせながらおっしゃっていました。
静岡地裁に再審開始を求める要請ハガキを会場で配り、約30筆が集まりました。 参加者アンケートでは「ひで子さんが明るくほがらかに話される姿を見ていると、本当に力になりたいと思えてくる。袴田さんの支援運動をもっと多くの人に知ってもらいたい。」などという声が寄せられました。(報告:静岡グループ)
11月3日:新潟 新潟市(クロスパルにいがた)
参加者はスタッフも含め40名でした。ちょうどその日、新潟では数々イベントがあり、それを考えると、まあまあ関心を集めることができたのかと思います。また、新潟日報社の記者から取材を受け、後日新聞記事に掲載されました。
講演会は袴田事件の紹介ビデオの後、救う会の副代表である門間幸枝さんよりご自身の袴田事件とのかかわりについてスピーチをいただきました。その中で、袴田事件を支援する場合、「ご家族にとってはずっと事件が続いていることを考えなければならない。」と述べ、継続した支援は大変かもしれないが、とても大切であることを力説されたのが印象的でした。
次に袴田ひで子さんからのお話でした。巌さんの人柄にふれ、絶対に事件を起こすような人ではないこと、また事件によってひで子さんご自身の辛い思いについても述べられ、えん罪事件の不条理さについて考えさせられました。
12月8日:神奈川 横浜市(神奈川婦人会館)
会場は76名定員でしたが、ほぼ満席の感じでした。袴田事件をよく知る人には物足りなかったようですが、あまり知らなかった人は事件に対して、理解を深められたようです。
長い間、厳しい状況にいるにもかかわらず、それを感じさせないひで子さんの明るさと前向きな姿勢を素晴らしいと思いました。ご自分が支援者に支えられてここまで来たと、感謝の言葉を述べられました。ひで子さんはご自分の苦労をあまり語りません。そこにひで子さんの強さと人間性を感じました。
駅の長い階段をエスカレーターも使わず、上っていかれたことにも驚きました。いつまでもお元気でいて欲しいと思います。(報告:神奈川連絡会)
12月9日:東京 千代田区(日本大学法学部)
参加者は100名。会場はにぎわいました。静岡放送のテレビカメラも入りました。
ひで子さんは、今回の講演で全国を回る中、各地のアムネスティの会場で歓迎してもらった感謝を述べられていました。
その中で、「これまで長い間、巖のことがあり、旅行になど出かける気分にはなれませんでした。そのような中、今回、初めて全国各地を訪れました。そして、各地で、みなさんに歓迎してもらいました。本当に、感謝でいっぱいです。」との感想がありました。
一人の普通の女性から、旅行をして、その土地の美味しいものを食べる、といったごく平凡な楽しみさえも、この事件が根こそぎ奪い去ったことに、深い悲しみを覚えました。
たくさんのご支援、ありがとうございました!
袴田ひで子さん全国スピーキング・ツアーでは、多くの方から合計で720件、2,983,000円の賛同金が寄せられました(2013年1月現在)。この賛同金は、袴田ひで子さんスピーキング・ツアーの、旅費交通費、謝礼、通信・印刷費、死刑廃止担当職員の人件費などに充てさせていただきました。また、冤罪を防ぎ、被疑者の尊厳を守るために必要な取り調べの可視化の法制化を実現するために、日弁連の協力のもと開催した「弁護士出前セミナー」の費用にも充てさせていただきました。
皆さまの暖かいご支援に、厚く御礼申し上げます。
賛同金の残りにつきましては、袴田巖さんの再審無罪への活動や、自白偏重の捜査が招く不公正な裁判への問題提起など、さまざまな活動に使わせていただきます。
開催日 | 2012年7月14日~12月9日 |
場所 | 全国各地 |
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