袴田巖さんが逮捕されたのは、1966年に味噌会社の専務一家が殺害された「袴田事件」です。それ以来、えん罪の可能性がありながらも、2014年3月に釈放されるまで、ずっと拘束されてきました。
死刑判決の根拠となった自白は、猛暑の中、1日平均12時間にもおよぶ過酷な取調べで引き出されたものでした。水も与えられず、トイレにも行かせてもらえず、殴られ、蹴られて...。意識が朦朧とする中、命を守るために「自白」したとして、袴田さんは裁判で無実を訴えました。
また、犯行時に袴田さんが着ていたとされる血の付いた衣服も有罪の決め手となりましたが、当時からこの証拠の信憑性を疑問視する声が多くありました。そして新たなDNA鑑定の結果を検討した裁判所は、検察による証拠ねつ造の疑いあり、と断じたのです。
そんな中、2014年3月27日、静岡地方裁判所は再審開始を決定、さらに「これ以上、拘置を続けることは、耐え難いほどの正義に反する」として、48年ぶりに袴田さんを釈放しました。
しかし、検察が異議を申し立てたため、東京高等裁判所で審理が続いていましたが、釈放されてから4年が経った2018年6月、高裁は静岡地裁の再審決定を覆し、再審開始を認めない、という驚くべき決定を下しました。
この判決に対する弁護側の特別抗告を受け、最高裁判所は2020年12月、「審理が尽くされていない」として、袴田さんが犯行時に着ていたとされる衣類に付着した血痕の色の変化に争点を絞り、高裁に審理を差し戻しました。
2023年3月13日、東京高裁は、犯行着衣に関し「第三者が隠した可能性がある」と指摘、「第三者は捜査機関の可能性が極めて高い」として捏造(ねつぞう)の疑いにも踏み込み、袴田巖さんの再審開始を認める決定を下しました。再審公判は、2023年10月27日に始まり、2024年5月22日、検察は死刑を求刑、弁護団は無罪を主張して結審しました。
2024年9月26日、静岡地方裁判所は、ついに袴田巌さんに再審無罪の判決を言い渡しました。そして、10月9日、静岡地方検察庁は控訴の権利を放棄し、袴田巖さんの無罪が、逮捕から58年、死刑判決が確定してから44年を経て、ついに確定しました。
9月26日の静岡地裁の判決は、捜査機関による証拠のねつ造を断罪するものでした。国の制度の下でこのような人権侵害が二度と起きてはなりません。アムネスティ日本は、半世紀にわたり袴田巖さんの人権と尊厳を侵害し続けた検察を強く非難するとともに、この苦しみを引き起こした死刑制度の廃止と刑事司法制度の改革を日本政府に早急に求めます。
(アムネスティ・インターナショナルは2008年より、袴田巖さんを「危機にある個人」として、支援を続けています。)
日本支部声明
- 2024.10.11:袴田巖さん無罪確定 日本政府に死刑制度の廃止と刑事司法制度の改革を求める
漫画で袴田事件を読む「スプリット・デシジョン~袴田巌 無実の元プロボクサー~」
日本プロボクシング協会(JPBA)・袴田巌支援委員会では、1966年の事件発生による死刑確定から半世紀、「無実」を訴え続けてきた袴田事件を分かりやすく世間に理解してもらうため、事件の概要を描いた漫画「スプリット・デシジョン~袴田巌 無実の元プロボクサー~」を制作しました。
- 第1話 > 自白
- 第2話 > 2対1の死刑判決
- 第3話 > 「血叫び」の訴え
- 第4話 > リマッチ
- 第5話 > 釈放
- 第6話 > 終了ゴングが鳴る日まで