私は、子供の時から「生長の家」の教えに触れ、又、高校はミッションだったせいか、ずっと死刑は廃止すべきだと思ってきた。
日本は、そもそも昔、死刑廃止国だった。平安時代、正確には、818年に嵯峨天皇の決断によって廃止されてから1156年までの347年間、死刑は廃止されていた。「殺生はいけない」という仏教の影響もあるし、人を殺したら怨霊がたたるという恐怖もあったのかもしれない。死刑が復活したのは武士の時代になったからだ。人がたたるなんて迷信だ、と武士は考えて合理的・科学的に復活したのだろうが、そうした殺伐とした合理主義より「迷信」に基づいて死刑を廃止していた時代の方が、心豊かで進んでいたように思う。
実は、このことを知ったのは、フランスが死刑を廃止した時の法務大臣であったロベール・バタンテール氏の講演だ。当時フランスは、国民の世論調査では7割近くが「死刑廃止は時期尚早だ」といっていた。しかし彼は「人権の問題は政治家が国民世論をリードし、啓蒙していくべきだ」と信じて議会で審議し、死刑を廃止したのだ。その彼が講演で「日本は千年前に世界で初の死刑廃止国だった。これは世界史でも例を見ない画期的なことだ。その日本が『死刑を存置している最後の民主国』になるはずがないと信じている。」と語ったのだ。私は、これを聞いて衝撃を受けたのを覚えている。
死刑廃止は、日本文化であり日本精神なのだ。米長邦雄氏が言っていたが、日本の将棋は、取った駒をまた使う、つまり捕虜を殺さないという世界でも稀有な盤上ゲームだ。また、日本は、鉄砲が伝来しながらそれを捨てて刀剣にもどってしまった。武器の進化を止めてしまった奇跡の国だ。日本は、元々謙虚で寛容な国だったのだ。近代になって傲り高ぶりが生まれ、謙虚さ寛容さを忘れてしまった。これは愚かなことだと思う。
鈴木 邦男(すずき・くにお)さんのプロフィール
1943年生まれ。1972年に新右翼「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。
著書「夕刻のコペルニクス」「公安警察の手口」「言論の覚悟」他